政治とか

2019年07月11日

怪しいので、避難先に

元祖ファシスト=天皇との戦い。
2019年07月11日 政治向け 0

上記文抜粋
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それは、日本がソビエト時代の生産プロセスを利用し、安倍晋三(※当時は父、安倍晋太郎の秘書官)の大量破壊兵器取引と関連したオウム真理教の密輸作戦で得たものです。安倍晋三とその一味は、1980年代後半から1996年3月20日までの東京オウム地下鉄サリン事件の前日まで、ボルヴォグラード(スターリングラード)からの神経ガスの大量の秘密輸送に携わっていた。

 なお、その時点で、日本政府は宝島30誌(※宝島30「ぼくらのオウム戦争」)の閉鎖を命じ、編集長も首にして、ジャパンタイムズウィークリーの編集長をオウム真理教の創業者である創価学会のスタッフに移管するよう命じた。言うまでもなく、クアラルンプールでやっているように、米国のニュースメディアとCIAと韓国の情報機関は、東京のオウム地下鉄サリン事件の真相の隠蔽も図った。
現在、東京オウム地下鉄サリン事件発生の26周年を迎える直前に、有機リン酸神経ガスを使った事件がクアラルンプールで再び起きた。偶然にも、日本大使館は、福島の放射能放出の健康影響に関連する情報の抑制を含む、マレーシアの首都の諜報活動において積極的な役割を果たしてきた。

クアラルンプールは、真理、司法、民主主義の擁護者である日本、米国、韓国の新ファシストスパイの三国間協力の拠点の一つです。マレーシア航空機MH370に何が起こったかを思い出してください.MH370は、同じ魔法使いのキャストから消える行為です。

731部隊のルーツ

これらの3つの力によって演説された黒人隊は、日本の韓国占領と中国北東部の買収において暗いルーツを持っています。安倍晋三首相の祖父は、準軍事南満州鉄道の財務長官であり、中国側に誤って犯された鉄道爆撃などの偽旗攻撃のパイオニアである。

山口県に根ざした岸氏は、戦時中の黒龍秘密集会(中国とロシアの黒竜江川の境界にちなんで名付けられた)に密接に関連しており、後にケンペイタイとギャングの民兵と呼ばれる軍事警察戦後のヤクザとしての評判を得る。

このファシスト運動は、貴重な石が埋め込まれたリングを得るために指を切断するように、韓国の兵士に国家抵抗軍に対するより残忍な攻撃を行い、武装強盗を行うために使用された。日本軍に派遣された韓国の協力者の1人が朴正熙(パク・チョンヒ)であり、後に韓国の戦後大統領となり、現在の朴槿恵(パク・クネ)の父となった。名声を得て、彼は韓国人よりも流暢に日本語を話しました。

マンチューコの人形館の主任官僚として、七七年に指定された化学生物戦を支持し、囚人だけでなく、中国の都市人口に対する爆発や他の有毒物質の生存テストを実施した。

日本の敗北の後、731部隊は、日本人に優しい米軍将校の支援を受けて、ユタ州のダグウェイ・プロービング・グラウンドに移転することによって、戦争犯罪に対する罰を免れました。そのほとんどは、日本語で訓練されたモルモンです。(アデルソンのカジノのモルモン警備員への早送り、マレーシアの関係者の巻き込み、そしてマカオでのDoan Thi Hoangのやり方など)

この隠れた三国間協力の遺産は、韓国と日本の政治的威嚇、ニュース検閲、戦争混乱の原動力として引き続き存在している。そのような悪意のある、積極的で根っからの悪質な敵では、ネオファシストの日本人によって密かに蓄積された大量破壊兵器と比較して、軍の反撃力が非常に小さいとしても、

したがって、ドナルド・トランプ大統領の存在と賢明な対話とアメリカの権力に対する静かな信頼を擁護することは、武器競争を止め、無意味な対立精神で止める機会に値する。トランプに反対するディープ・ステート構造は、アメリカの民主主義の脅威の一層のものであり、したがって根本と支部を引き抜かなければならない。




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抜粋終わり

>したがって根本と支部を引き抜かなければならない。


天皇制を根絶やしにしないといけない。


お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 18:25 

2018年06月17日

偽日本人の日本天皇国と安倍総統は、日本人に金は払わせて死ねば幸いと思っている。

DEEPLY JAPAN より

上記文抜粋
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ポンペオ・習会談、プーチン・金永南会談、プーチン・習会談
6月12日に、トランプ・金会談が行われ、わらわらするうちに14日にはロシアでFIFA ワールドカップが始まった。

いろいろ準備していたロシアとしてはともあれ開会にこぎつけられてよかったよかったといったといったところでしょう。いつものように見事なオープニングのセレモニーだったし、その前にクレムリン周辺(広場だった?)で行われたガラ・コンサートも素晴らしかった。

そんな中、


と言っている中国を、アメリカのポンペオ国務長官が訪問、にこやかに習さんと会っていた。

Chinese president meets US secretary of state 




完全非核化まで経済制裁は解除しないと言っていたようだ。まぁこのへんは当然そうでしょう。だって問題は結局、前にも書いたけど、このまま放置してたら徐々に中露+南朝鮮が北朝鮮を支援しだしてしまって、そうなったら結構サウンドに着地できちゃう可能性もあった。だからこそ、カリアゲ君を送り出した、というウィリアム・イングダール説は私は今でもだいたい合ってるんじゃないかと思ってる。つまり、経済制裁こそ実は肝。

 

で、そんな中、ほとんどのメディアが拾っていないと思うのだが、

北朝鮮の金永南氏が、モスクワを訪問していた。






金永南氏のモスクワ訪問は、おそらく2015年5月の対ナチス戦勝70周年記念以来。この時、習近平主席がプーチンの隣に座っていて、中国とインド、セルビア etc.が儀仗兵を出してロシア軍と一緒に行進していたことが話題になっていたので、北朝鮮は忘れられていたが、当初金正恩氏が出席するんじゃないかという噂があった。

結果的にはナンバー2と言われる金永南氏が出席していた。

金氏は今回、プーチンとの会談で、自分で、対ナチス戦勝記念の時にモスクワを訪問した心温かい記憶がよみがえりますと語り始めている。

  • Kim Yong-nam: I have warm memories from my visits to Russia, my valuable meetings with you, Mr President, when I participated in the opening ceremony of the Olympic Games in Sochi and celebrations of the 70th anniversary of Victory in the Great Patriotic War. I am also very pleased to meet with you today, Mr President.

 

北朝鮮は、この重要な日にも高位の人を出し、その前のクリミア批判決議ではロシアの側に立ち、さらに今回はワールドカップ開会式にもしっかり出席している。

金永南氏は、なんせ朝鮮戦争の頃に既に青年だった人なので、北朝鮮体制全般の生き証人みたいな人。金日成のように抗日の戦闘で名をあげたという触れ込みの人ではなくて、中国側に生き延びた人でその後ずっと外交を担当し、国内の抗争でも倒れず今に至っている。ある意味謎の人かもなとも思うしキーパーソンなんじゃなかろうかという気もしてる。どうなんですかね。

 

ちなみに今年は、ロシア(ソ連)と北朝鮮の国交樹立70周年。世界で最も古い関係には違いないですね。

だってソ連が日本の満洲支配を蹴散らし、朝鮮の北部を武装解除していき、同時に、別にこの地でなにかやったわけでもない、朝鮮支配のプランを持ったこともないアメリカが南から日本軍を武装解除させていったことを機縁として、朝鮮半島をどう統括するのかでもめて、市街戦、内線になって、それが朝鮮戦争という局地戦としては目も当てられないほど酷い戦争に拡大するものの、それでもバックにソ連があったことから北朝鮮という国家が成り立った、という成り行きだから。

 

その翌日今日15日には、

プーチンと習さんが電話会談をしていた。


 

朝鮮問題も話しましたとあるだけで内容は出てない。

こうやって皆さん連絡してまわっているわけですね。なかなかどうしてみんな大したもんだなとか思う。

ともあれ、あの頭が張り裂けそうにおバカな、軍事オプション、軍事オプションとかいう話が下火になったのは、誰がなんといっても良いこと。

 

この後、実はあやしい日本の中、と続けて書き始めたのだがまとまらないのでこれはまた別途。

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抜粋終わり

京の風 より
  


上記文抜粋
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今朝の日テレに、安倍晋三が出演。「非核化に日本政府がカネ出すのは当然」だって。

北非核化で首相「日本が費用負担するのは当然」   読売新聞 2018/06/16 11:42

 安倍首相は16日午前、読売テレビの番組に出演し、米朝首脳会談で合意された朝鮮半島の完全な非核化について、国際原子力機関(IAEA)による査察が必要だと指摘した上で、非核化費用の負担を検討する考えを明らかにした。
 首相は「核の脅威がなくなることによって平和の恩恵を被る日本などが、費用を負担するのは当然」と語った。「拉致問題が解決されなければ経済援助は行わない」とも述べ、経済援助と非核化費用の負担は区別して考える意向も示した。その上で拉致問題の解決に向け、「最終的に私自身が北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と日朝首脳会談を行わないといけない」との決意を改めて表明した。
 9月の自民党総裁選に関しては「まだまだ、やるべきことがたくさんある。私自身の手で解決したい」と強調し、連続3選に意欲を示した。出馬表明の時期は「セミの声が相当にぎやかになってきた頃」になるとした。
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まあ、ATMですから。 「運命の子」ですから。
半島での「ヤラセ」の終わりは、岸信介の孫が、日本国民にカネを出させる。


じゃあ、高額所得者 と 防衛費から出してね。

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抜粋終わり


>首相は「核の脅威がなくなることによって平和の恩恵を被る日本などが、費用を負担するのは当然」と語った。「拉致問題が解決されなければ経済援助は行わない」とも述べ、経済援助と非核化費用の負担は区別して考える意向も示した。

一緒だって。


で、拉致と核で、二度も金だけ出す。

でもね、天皇屋と安倍一党は、偽日本人だから、日本人が飢えて死のうが、貧しく最貧国になろうと、無問題。


拉致被害者も、日本人をだます、偽日本人と天皇家の仕込み。


拉致被害者当事者とその他の日本人だけ泣きを見る・・・。

おなじく より
 

上記文抜粋
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世界中が日本の「アベゲート事件」を知っている。どこの誰が、「いつ捕まるかもわからない大嘘つき・・・」と交渉する?

以下、ツイッターにあるご意見。 ごもっとも。













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抜粋終わり


なにか大分の剣の雲。結構大きい意味があるのかも。・・・




宇佐八幡は、元来朝鮮半島由来の鉄の導入の神さん・・・八幡神は「海からの到来者の神」だけど、この宇佐はまさに、朝鮮半島由来。


なにかあるかね。

お読みくださりありがとうございます。

henzyouhiryuu at 18:02 

2018年06月16日

復活の小田氏治。復活できない日大フェニックス。「天皇」の不在が復活を可能にした。



東洋経済 より

上記文抜粋
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教養がない人々が語る「常識を疑え論」のワナ
「イノベーションごっこ」に陥るエリートたち

日大アメフト部監督による暴行指示、財務省による森友・加計問題に関する情報操作、大手メーカーによる度重なる偽装・粉飾など、日本型組織の問題点が表面化したニュースが増えています。『武器になる哲学』の著者で、哲学科出身の外資系コンサルタントという異色の経歴を持つ山口周さんは、その根本的な原因について教養という視点から指摘しています。



日本でイノベーションが起きない根本原因
筆者がコンサルタントとして日々仕事をしていて、日本のビジネスパーソンに一番欠けていると感じるのが、「アジェンダを定める」力です。アジェンダとは「課題」のことです。なぜ「課題を定める」ことが重要かというと、これがイノベーションの起点となるからです。

今日、多くの日本企業ではイノベーションが経営課題の筆頭として取り組まれていますが、率直に言って、そのほとんどは「イノベーションごっこ」だと筆者は思っています。なぜそう言い切れるかというと、ほとんどのケースで「課題」が設定されていないからです。

すべてのイノベーションは、社会が抱えている「大きな課題」の解決によって実現されていますから、「課題設定」のないところからイノベーションは生まれません。「課題設定」というイノベーションの「魂」が抜け落ちたまま、表面的に外部からアイデアを募る仕組みやアイデアを練り上げるプロセスを整備しただけで、「オープンイノベーションをやっています」という状況ですから、これは「ごっこ」と言うしかありません。

筆者はこれまで、社会から「イノベーター」と認められている人々に数多くのインタビューを実施しましたが、そこで特徴的だったのは、そのうちの誰一人として「イノベーションを起こしてやろう」と考えていなかった、ということです。彼らは「イノベーションを起こそう」と思って仕事をしているのではなく、必ず具体的な「解決したい課題」があって仕事をしています。イノベーションの停滞が叫ばれて久しいですが、停滞の最大の原因となっているボトルネックは「アイデア」や「創造性」ではない、そもそも解きたい「課題=アジェンダ」がないということです。

そうなると「課題設定の能力」が重要だということになるわけですが、ではどうすれば「課題設定能力」を高めることができるのか? 鍵は「教養」ということになります。


イノベーションというのは、常に「これまで当たり前だったことが当たり前でなくなる」という側面を含んでいます。これまで当たり前だったこと、つまり常識が疑われることで初めてイノベーションは生み出されます。

一方で、すべての「当たり前」を疑っていたら日常生活は成り立ちません。なぜ信号の「ススメ」は青で「トマレ」は赤なのか、なぜ時計は右回りなのか、などといちいち考えていたら日常生活は破綻してしまうでしょう。ここに、よく言われる「常識を疑え」というメッセージの浅はかさがあります。

イノベーションに関する論考では、よく「常識を捨てろ」とか「常識を疑え」といった安易な指摘がなされますが、そのような指摘には「なぜ世の中に常識というものが生まれ、それが根強く動かし難いものになっているのか」という論点についての洞察がまったく欠けています。「常識を疑う」という行為には実はとてもコストがかかるわけです。一方で、イノベーションを駆動するには「常識への疑問」がどうしても必要になり、ここにパラドクスが生まれます。

結論から言えば、このパラドクスを解く鍵は1つしかありません。重要なのは、よく言われるような「常識を疑う」という態度を身につけるということではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということです。そしてこの選球眼を与えてくれるのが、空間軸・時間軸での知識の広がり=教養だということです。

自分の持っている知識と目の前の現実を比べてみて、普遍性がより低い常識、つまり「いま、ここだけで通用している常識」を浮き上がらせる。スティーブ・ジョブズは、カリグラフィーの美しさを知っていたからこそ「なぜ、コンピューターフォントはこんなにも醜いのか?」という問いを持つことができたわけですし、エルネスト・ゲバラはプラトンが示す理想国家を知っていたからこそ「なぜ世界の状況はこんなにも悲惨なのか」という問いを持つことができました。

目の前の世界を、「そういうものだ」と受け止めてあきらめるのではなく、比較相対化してみる。そうすることで浮かび上がってくる「普遍性のなさ」にこそ疑うべき常識があり、教養はそれを映し出すレンズとして働いてくれるということです。

なぜ、機長のほうが副操縦士より事故が多いのか?
この「比較相対化」のひとつとして、オランダの社会心理学者、ヘールト・ホフステードが紹介した「権力格差」というキーコンセプトを例にあげてみましょう。

皆さんもよくご存じのとおり、通常、旅客機では機長と副操縦士が職務を分担してフライトします。副操縦士から機長に昇格するためには通常でも10年程度の時間がかかり、したがって言うまでもなく、経験・技術・判断能力といった面において、機長は副操縦士より格段に優れていると考えられます。

しかし、過去の航空機事故の統計を調べると、副操縦士が操縦桿を握っている時よりも、機長が操縦桿を握っている時のほうが、はるかに墜落事故が起こりやすいことがわかっています。これは一体どういうことなのでしょうか?

この問題は、組織というものが持っている、不思議な特性が現れています。組織を「ある目的を達成するために集められた2人以上からなる集団」と定義すれば、航空機のコクピットというのは最小の組織であると考えることができます。

組織の意思決定のクオリティを高めるには「意見の表明による摩擦の表出」が重要です。誰かの行動や判断に対して、他の誰かが「それはおかしい」と思った際に、遠慮なくそれを声に出して指摘することが必要なわけです。つまり、航空機のコクピットにおいては、片方の判断や行動について、別の片方が反対意見を遠慮なく言える、ということが重要になるわけです。

さて、副操縦士が操縦桿を握っている場合、上役である機長が副操縦士の行動や判断に対して意義を唱えることはごく自然にできることだと考えられます。一方、逆のケースではどうでしょうか? 機長が操縦桿を握っている際、目下である副操縦士は機長の行動や判断に対して反対意見を唱えられるでしょうか? おそらく、なんらかの心理的抵抗を感じるはずです。そしてその心理的抵抗から、自分の懸念や意見を封殺してしまった結果が、「機長が操縦桿を握っている時のほうが、事故が起こりやすい」という統計結果に出ていると考えることができます。

上役に向かって反論する際に部下が感じる心理的な抵抗の度合いには、民族間で差があるということがわかっています。オランダの心理学者ヘールト・ホフステードは、全世界で調査を行い、この「部下が上役に対して反論する時に感じる心理的な抵抗の度合い」を数値化し、それを「権力格差指標=PDI(Power Distance Index)」として定義しました。

「部下にとって上司は近づきがたい」存在
ホフステードは、もともとマーストリヒトにあるリンブルフ大学の組織人類学および国際経営論の研究者でした。1960年代初頭において、すでに国民文化および組織文化の研究の第一人者として国際的に著名だったホフステードは、IBMからの依頼を受けて1967年から1973年の6年間にわたって研究プロジェクトを実施し、その結果IBMの各国のオフィスによって管理職と部下の仕事の仕方やコミュニケーションが大きく異なること、それが知的生産に大きな影響を与えていることを発見しました。

ホフステードは多くの項目を含む複雑な質問表をつくりあげ、長い年月のうちに各国から膨大な量のデータを回収し、さまざまな角度から「文化的風土がもたらす行動の差異」についての分析を行っています。その後の彼の論考のほとんどは、この時の研究を何らかの形でベースとしています。

具体的には、ホフステードは文化的差異に着眼するに当たって、次の6つの「次元」を定義しており、今日、これらは一般に「ホフステードの6次元」として知られています。

① Power distance index(PDI)上下関係の強さ
② Individualism(IDV)個人主義的傾向の強さ
③ Uncertainty avoidance index(UAI)不確実性回避傾向の強さ
④ Masculinity(MAS)男らしさ(女らしさ)を求める傾向の強さ
⑤ Long-term orientation(LTO)長期的視野傾向の強さ
⑥ Indulgence versus restraint(IVR)快楽的か禁欲的か


ホフステードは権力格差について「それぞれの国の制度や組織において、権力の弱い成員が、権力が不平等に分布している状態を予期し、受け入れている程度」と定義しています。


フランス   :68
日本     :54
イタリア   :50
アメリカ   :39
カナダ    :39
旧西ドイツ  :35
イギリス   :35


上記は、先進7カ国の権力格差を一覧にしたものです。これによると、イギリスは権力格差の小さい国なのですが、そうした国には特徴があります。人々の間の不平等は最小限度に抑えられる傾向にあり、権限分散の傾向が強く、部下は上司が意思決定を行う前に相談されることを期待し、特権やステータスシンボルといったものはあまり見受けられません。

これに対し権力格差の大きい国では、人々のあいだに不平等があることはむしろ望ましいと考えられており、権力弱者が支配者に依存する傾向が強く、中央集権化が進みます。

以上より、権力格差の違いは職場における上司・部下の関係性のあり方に大きく作用することになります。

端的にホフステードは「権力格差の小さいアメリカで開発された目標管理制度のような仕組みは、部下と上司が対等な立場で交渉の場を持てることを前提にして開発された技法であり、そのような場を上司も部下も居心地の悪いものと感じてしまう権力格差の大きな文化圏ではほとんど機能しないだろう」と指摘しています。

なお想像に難くないことですが、やはり日本のスコアは相対的に上位に位置しています。

ホフステードは、韓国や日本などの「権力格差の高い国」では「上司に異論を唱えることを尻込みしている社員の様子がしばしば観察されており」、「部下にとって上司は近づきがたく、面と向かって反対意見を述べることは、ほとんどありえない」と同調査の中で指摘しています。

どのような影響を及ぼすのか
さて、では権力格差の大きさは具体的にどのような影響を及ぼすのでしょうか。現在の日本の状況を考えると、2つの示唆があるように思えます。

1つ目の示唆は、コンプライアンスの問題です。組織の中で、権力を持つ人によって道義的に誤った意思決定が行われようとしている時、部下である組織の人々が「それはおかしいでしょう」と声を上げられるかどうか。ホフステードの研究結果は、わが国の人々は、他の先進諸国の人々と比較して、相対的に「声を上げることに抵抗を覚える」度合いが強いことを示唆しています。



2つ目の示唆は、イノベーションに関する問題です。科学史家のトーマス・クーンは、パラダイムシフトを起こす人物の特徴として「非常に年齢が若いか、その領域に入って日が浅い人」という点を挙げています。これはつまり、組織の中において相対的に弱い立場にある人のほうが、パラダイムシフトにつながるようなアイデアを持ちやすいということを示唆しています。したがって、そのような弱い立場にある人々が、積極的に意見を表明することで、イノベーションは加速すると考えられるわけですが、日本の権力格差は相対的に高く、組織の中で弱い立場にある人は、その声を圧殺されやすい。

以上の2つを踏まえれば、組織のリーダーは、部下からの反対意見について、それが表明されれば耳を傾けるという「消極的傾聴」の態度だけでは、不十分だということが示唆されます。より積極的に、自分に対する反対意見を、むしろ探して求めるという態度が必要なのではないでしょうか。

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抜粋終わり


酔生夢人のブログ より

上記文抜粋
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兵士は優秀だが将校は無能、という日本の伝統

スポーツライター広尾晃のブログ記事の一節である。
まったく同意である。プロ野球など、現役時代にはロクな成績も残していない人間が人脈(仲良し関係)を利用してコーチの座を手に入れ、選手に威張っている例がたくさんある。
もちろん、自分でやる能力と教える能力は別だから、現役時代はダメ選手でもコーチとしては有能という例もあるだろうが、コーチというだけで選手より偉いという態度の馬鹿もたくさんいるのである。選手が活躍するからチームの好成績もある(選手の働きがあるからコーチの給料も出る)のだ、という根本を理解せず、「コーチの地位は選手より上」と考えている阿呆は何とかならないか、と思うのだが、そういう連中に限って、球団フロント(球団幹部)に仲良しがいたりして、なかなか追放されない。

まあ、言うまでもなく、プロ野球だけの話ではない。会社組織では「何にも専務」と陰口を言われているような上級職が平社員の数倍数十倍の給与を貰ったりするのは普通の光景だ。

(以下引用)


今の日本のスポーツ界には、世界に比べて遅れている指導法を全面的に見直そうという動きが出ている。技術もさることながら、選手と指導者の関係を改めようという改革が進んでいる。その基本は、プレイヤーファーストだ。選手は指導者の子分ではなく、選手こそが主役であり、指導者はそのサポート役に過ぎないというパラダイムシフトが求められている。

しかしスポーツ界にはこの栄監督や日大アメフト部のように、そうした考え方を全く学ばず、やくざの親分のように選手を支配する指導者がたくさんいる。そういう部は強制的に選手に練習させ、試合でも勝利至上主義を徹底させるので、成果が出やすい。まさに「勝てば官軍」でこういうごろつきのような指導者が高い地位にいるのだ。

野球界にもそういう傾向はある。甲子園で実績を上げた指導者は、牛や馬のように選手をしごいて試合をさせた自分の指導法が間違っているとは夢にも思わないだろう。

なにごとによらず、日本は「上にいるもの」「既得権益の上に座っているもの」がなかなか退場しないために、進化できないでいるが、スポーツ界もその最たるものなのだ。

時の政権がそうだからでもあろうが、最近はどれだけ世間から批判されようと、メディアに騒がれようと、地位に居座ったまま動かない人間が多すぎる。
至学館大谷岡学長、栄監督、日大田中理事長など、今回の事件のおおもとにいる人間が完全に失脚しなければ、事態は改善に向けて動きださないだろう。

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抜粋終わり

なぜ、「兵士は優秀だが、将校は無能」なのか。

それは「権力格差が巨大」だから。

フランスは「革命」って思想を機能に組み込むことで、なんとか落ち着かせている。


で、日本は、
「上に刃向うな!理不尽を無条件に甘受しろ。」であるから、

>コンプライアンスの問題です。組織の中で、権力を持つ人によって道義的に誤った意思決定が行われようとしている時、部下である組織の人々が「それはおかしいでしょう」と声を上げられるかどうか。ホフステードの研究結果は、わが国の人々は、他の先進諸国の人々と比較して、相対的に「声を上げることに抵抗を覚える」度合いが強いことを示唆しています。

>そのような弱い立場にある人々が、積極的に意見を表明することで、イノベーションは加速すると考えられるわけですが、日本の権力格差は相対的に高く、組織の中で弱い立場にある人は、その声を圧殺されやすい。

てなるわけである。


少なくとも「天皇制階級システム」は、軍事以外では否定されなかった日本天皇阿呆国。


なぜ、日大フェニックスは、ああいう破たんをしたのか。

それは「ピラミッド的階層権力システム」は機能していたが、それを是正するモノは働かなかった。

参考にある人物の事績をみてみたい。

祭遵評伝 ― 棺で凱旋した儒将軍

上記文抜粋
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●祭遵の兵士統率法とは?
 祭遵は、もともと光武帝のもとで軍紀の粛清係をつとめていた。将軍としてもその軍紀の厳しさは最高であった。
 しかし、ただ厳しかっただけではない。
 祭遵は光武帝の信頼が厚く、しばしば特別に賞与を与えられていた。しかし、給与も報償もすべて兵士に与えたので、私財がまるでなかったという。
 子供がいなかったので妾を娶るように薦められても、それを断った。家のことを決して語らなかった。すべてにおいて国家のことを最優先とした。
 また、孔子の子孫を国に封じることや五経大夫を置くことを進言した。祭遵は儒に詳しく、孔子の教えを信奉していたのである。
 将軍となると、部隊長を選ぶのに儒を基準して選んだ。戦場を前にしても、部下たちとともに儒の作法に基づいて酒を飲み、音楽を演奏し、雅歌を歌い、投壺(壺に矢を投げ入れる遊び)をして遊んだ。悠然として儒者の風があったのである。
 儒はこの時代の主要な学問であるから、こうしたイベントに兵士を参加させることは、兵士の教育に熱心であったことを示している。
 孔子はかつて「民を教えずして戦わせる、これを棄てるという」と述べた。兵士を教育してから戦わせることが肝要なのである。祭遵は、孔子の用兵を行っていたのである。
 人にもし立派な振る舞いをさせたいのなら、まず立派な人物として扱い、立派な人物であるという自覚を与えることである。相手を悪人であると見なして応対すれば、相手は悪人として振る舞うし、有能な人として応対すれば有能に振る舞う──これは心理学でいうピグマリオン効果として知られているものであり、集団に対したとき明確にあらわれる効果である。
 すなわち、祭遵は兵士を立派な士人として扱うことにより、兵士に志と自覚を与えその質を高めたと考えられるのである。だからこそ、祭遵の指揮がなくとも自らの意志をもって戦うことができたのであろう。
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抜粋終わり

>将軍となると、部隊長を選ぶのに儒を基準して選んだ。戦場を前にしても、部下たちとともに儒の作法に基づいて酒を飲み、音楽を演奏し、雅歌を歌い、投壺(壺に矢を投げ入れる遊び)をして遊んだ。悠然として儒者の風があったのである。
>儒はこの時代の主要な学問であるから、こうしたイベントに兵士を参加させることは、兵士の教育に熱心であったことを示している。

>人にもし立派な振る舞いをさせたいのなら、まず立派な人物として扱い、立派な人物であるという自覚を与えることである。相手を悪人であると見なして応対すれば、相手は悪人として振る舞うし、有能な人として応対すれば有能に振る舞う──これは心理学でいうピグマリオン効果として知られているものであり、集団に対したとき明確にあらわれる効果である。
>すなわち、祭遵は兵士を立派な士人として扱うことにより、兵士に志と自覚を与えその質を高めたと考えられるのである。だからこそ、祭遵の指揮がなくとも自らの意志をもって戦うことができたのであろう。

立派な人として、上位者・指導者に認められ遇されると、それに答えようとする。

自分と同じ「儒者・義士」として扱われると、そういう風に答えたくなる。


ちょうど日本にも面白い男が居た。

小田氏治である。

参考 より  

上記文抜粋
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ちなみにこの連歌会、他家では重臣クラスしか参加できないものでしたが、小田家では身分のわけ隔てなく参加できました。この部下に対する寛容さが氏治の魅力なのかもしれません。

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抜粋終わり

ちょうど、祭遵の兵士統率法とほぼ同じなのである。

面白いことに、それに心打たれて、多くの「腕に覚えのあるもの」が仕官してくるし、領民も「小田さまでないと税は納めない」とまで言っている。

この連歌だけなく、他の多くの行動が「対等に尊重する」というスタンスだったので、この「復活力」を持っていたのである。


で、日大フェニックスは、一級の選手をいびり倒して、犯罪行為を行わせた挙句に、そのイビリを告発されて、不死鳥ならぬ死体になっているのである。



その一因は、あまりに日大は「監督が権力的に強くなり過ぎた」ってのもある。


権威・権力格差が大きくなると、

>コンプライアンスの問題です。組織の中で、権力を持つ人によって道義的に誤った意思決定が行われようとしている時、部下である組織の人々が「それはおかしいでしょう」と声を上げられる

ことは無くなる。

そうなると、過ちの是正はできなくなっていく。


>これはつまり、組織の中において相対的に弱い立場にある人のほうが、パラダイムシフトにつながるようなアイデアを持ちやすいということを示唆しています。したがって、そのような弱い立場にある人々が、積極的に意見を表明することで、イノベーションは加速する

ことはなくなり、イノベーション・革新は不可能になる。

日大フェニックスでも、篠竹監督時代の晩年あまり勝てなくなったが、それは篠竹監督が「選手と同じ風呂に入り・飯を食い」というように、水平的なあるいは平等的な行動をしていても、勝ちまくって出来上がった権威・権力が見えない壁になり、イノベーションが出来なくなっていった面も大きいと思う。
成功とそれに伴う権威が、その成功者の足かせになって行ったのであります。権力格差が拡大し、水平的な「人間の平等と尊厳」が、意図せずに失われていったてことです。



で、何故天皇制が足かせになるのか?

一つの理由は、

松岡正剛 千夜千冊  空の思想史 

上記文抜粋
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そればかりか、神の存在も自己の存在も否定した。神もなく自己もなく、世界すらない思想、それが「空の思想」である。ここを、キリスト教のように神の存在を認めたら、他のすべてのものも実在することになる。そして、そこから神を別格に扱うには、そこにキリスト教のように実在の階層をつけることになる。仏教はある時期からそれを拒否し、否定した。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

天皇だけ別格に置くことで、「平等」を実現したかもしれない。

でも厳然と「閨閥」が支配している日本。

また「天皇に近い」ほど、官憲が統制しにく。

この構造は「革命」が無い限りに、新陳代謝も是正もできない。

延々と明治からの「序列・階級秩序」「権力格差の延々とした拡大」は無くならないのである。

ので、

日本の組織の「統治」なり「コンプライアン」は機能しなくなるし、

イノベーションも「天皇型秩序の永続化」で、ことごとく潰されていく。



日本は、「天皇制」がある限りに、不死鳥のようには復活できず、ゾンビのように「植民地・占領地」として、存続しているつもりでしかないのである。


なんか上手く思ったよりまとめれなかったけど。こんな感じで。


お読みくださりありがとうございます。



henzyouhiryuu at 12:05 

2017年12月20日

更新したら、さっそく攻撃。暇やね・・・悪魔教徒て・・まあ、バノンとトランプが落とし穴掘っているは。

産めよ増やせよ大和撫子((旧日本の独立を目指して))) より

上記文抜粋
・・・・・・・
お前たちの望んだようにしてやった、だからイスラエルが滅んでも俺のせいじゃねえ  
ということのようです

現場のイスラエル人は不安がっているようです。

NYのユダヤ人は頭の中だけで、復活を思っている

観念論シオニストだから、自分が要求したとうりにトランプがして、イスラエルが滅亡しても自分が悪いとは思わない

ハリウッドで見られるように「自分勝手と蔑視」がユダヤ教の核心思想だから。

こりゃ、バノンの仕掛けた罠かもよ

クリックすると元のサイズで表示します


戦略家は本心は決して言わないものです。

思った通りのことを言って、しているのは評論家です。

こいつもね

クリックすると元のサイズで表示します







・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり


いや~、悪魔教とか書いたのが、そうとう嫌なのか。

忍者ブログに大変書き込みにくくなった。まあ攻撃しとるのだろう。暇~やね~。


人食いとか面倒なことして、しかも反動・反作用がえげつない悪魔教などするよりも、

求聞持法やったほうが、ローコストで確実性があって反動も無いのだが・・・。今の悪魔教を信じてるセレブ連中の心身の能力があれば、絶対できると思うのだが。

まあ楽してやろうとしすぎて、ババ引くようなことと嬉々とやっている。

どこか致命的に阿呆でないのか。


まあ、そのアホどもに、バノン・トランプは「エレサエム」って餌で落とし穴を仕掛けているぞ・・



お読みくださりありがとうございます。






henzyouhiryuu at 20:05 

2016年09月22日

ちょっと参考に  葬礼・墓の一考察。


上記文抜粋
・・・・・・・・

核家族化 熟年離婚 など 
いずれ 待ち受ける 死に 日々 近づいているのを 
愚かな 衆生は 忘れている。 

先日 一周忌を 拝んだ お宅…

子息は 霊園 墓石 会社勤務…

今時 墓石造らず 
墓碑撤去も 増える…

兵庫県 甲山大師の 納骨堂の 話しを 出して 

墓碑建立出来ない家の 納骨堂式 墓地の あり方を 話す 

霊園墓碑会社 
宗教法人が あるので 

小型軽量の納骨堂用の、五輪塔を 造り 個別の 納骨施設と 

大型 五輪塔 を 建立し 共同 埋葬墓地 を… 

リーズナブルに 提供しないと 
墓石会社は 
存続出来ない…

社長に 進言すべし…と 伝える… 


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・・・・・・・・
抜粋終わり

>小型軽量の納骨堂用の、五輪塔を 造り 個別の 納骨施設と 

>大型 五輪塔 を 建立し 共同 埋葬墓地 を… 


こういうの一つの妙案に思う。

あまりに墓が高い・葬儀も選ばないと銭だけ取られて中身の薄い葬儀やボッタクをされるので・・


なに参考になれば・・・


お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 10:21 

2016年09月20日

糞坊主が、日本を侵す。 トンキンの耶蘇・天皇教徒の抹殺の次は、白足袋の粛清が不可欠かな。


上記文抜粋
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仏教と高級車とクルーザーとゴルフ
こういう悪徳僧侶が“寺離れ”の1つの原因かもしれない。

「宗派、国籍にとらわれず幅広い信徒が集まる“みんなのお寺”を標榜し、4年前に檀家制度を廃止、ゆうパックによる送骨(お骨を送る)サービスも承っています」

そう語るのは、日本一の“暑さ”を競う埼玉県熊谷市で、400年もの歴史を持つ仏教寺院曹洞宗「見性院」の23代目住職、橋本英樹さん(51)。敷地内には、《居士・大姉 導師1人30万円》と「お布施一覧」の看板が張り出されている。このお布施の“定額化”も橋本さんのアイデアだ。

「“お気持ち”を金額に表したのですから、ほかの寺からの反発はあります。日々、仏教界のタブーを犯しているので、怪文書まで出回る始末です。革新的なことをすれば、必ず軋轢は生まれます。でもその変化を恐れていたら、近い将来、日本のお寺は必ず立ち行かなくなる。それほど、追い詰められているんです」

お寺は全国に約7万6,000箇寺あり、約5万店のコンビニ店の数よりも多い。

「全体の16%の寺には常駐する住職がいません。地方に行けば、“廃寺”と化しているお寺も珍しくない。ではなぜ“寺離れ”が起きたのか。それは仏教界が、人々の葬儀や寺、お墓に対する価値観の変化についていけず、何の対策もしてこなかったからです」

では、“尊敬されるお寺”を取り戻すためにはどうすればいいのか。

「葬式の相場はあってないようなもの。同じ葬式が150万円になったり200万円になったりします。見積りで『200万円です』と言っておきながら、請求段階で10万、20万と上乗せしてくるケースも多い。しかも、もっともらしく端数入りの数字が並んでいたりします」

10年ほど前、ある葬儀に派遣されたときに、80万円のお布施をもらったが、仲介僧侶や葬儀業者にマージンが渡り、橋本さんの手元に残ったのは25万円だったという。

「違和感があったんです。ご遺族の気持ちを無視しているといいますか、知らないところで“勝手に分ける”その感覚に」

そこで、仲介手数料を発生させないように、可能な限り業者を入れない葬儀を目指した。

「会場の設営や、お弁当や花の発注など、霊柩車の運転手以外は全部寺で請け負っているので、だいぶ安くできている自負があります」

安さばかりを追求しているわけではない。一般的には避けられている「本堂に遺体を入れる」葬儀も行っている。

「セレモニーホールでは経験できない荘厳さがあります。寺が“業者と競い合う”ことで、良質な葬儀を提供できる機会が増えると思っています」

また「見性院」では、入口にある《心得》には、《ゴルフ、釣りはしない事》《高級車に乗らない事》など、戒めが掲げられている。

「経営が厳しくなったとはいえ、いまだに儲け重視の僧侶がいることは確か。そういった僧侶が集まれば駐車場はモーターショーのようになり、話題といったらゴルフのことばかり

高級時計は当たり前。釣り好きが高じて、クルーザーまで所有する強者もいるという。

寺格(寺の格)が高いと、戒名1つで200万円、葬儀で1,000万円くらいはザラ。本来“浄財”というきれいなお金であることを忘れ、高級外車を経費計上する僧侶もいます。先日もウチに相談に来た方に聞いたのですが、ある寺で『お金がないので葬式はやれません。納骨のときのお経だけお願いしたい』と言ったら、僧侶が『ふざけんな、お前!』と品位に欠ける言葉で責め始めたと聞きました」

多くの真っ当な僧侶は「出せるだけでよろしいですよ」と言ってくれるのだろうが、こういう悪徳僧侶が“寺離れ”の1つの原因かもしれない。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160917-00010000-jisin-soci


ある意味、欧州方面のご本尊様にちゃんとお布施する坊主の所にカネが流れるようにできてるわけですよ。末端の仏教徒は騙され損ですけどね。(爆wwwwwww


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・・・・・・・・・
抜粋終わり

糞坊主も、日本列島に寄生している害虫である。

耶蘇・天皇教徒の次に、この白足袋連中を大掃除です。

坂本竜馬が、怒りと希望を託して、幕末に仏教界に一喝をしていた。

熊楠が、日本の仏教・特に密教に「未来」を見出していたが、正味多くの僧侶には絶望していた・・・。

大掃除しないと、二人の豪傑の思いと大戦略を、列島の衆生は実現できない。


お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 09:47 

2016年09月13日

すべての人が、神仏の化身かもしれない。

中外日報 より

上記文抜粋
・・・・
忍性と行基 「化身」という信仰のかたち

2016年9月7日付 中外日報(社説)

今年は鎌倉時代の真言律宗の僧、忍性の生誕800年に当たる。これを記念して奈良国立博物館で開催された特別展を見学された方も少なくないと思う。

忍性はハンセン病患者の救済に携わったことで知られる。彼はハンセン病患者を文殊菩薩の化身と見た。『文殊師利般涅槃経』によれば、文殊菩薩は貧窮孤独の衆生の姿で福業を行う者の前に現れ、この菩薩を礼拝することで生死の罪科を滅することができる。

近代ヒューマニズムの見方からすれば、ハンセン病患者を文殊菩薩の化身とするような回り道を経ず、同じ人間としての共感から慈悲の実践を行えなかったのかという意見も出てくるかもしれない。しかし、これこそ近代ヒューマニズムの陥りがちな通弊であろう。忍性はそうすることで、当時世間から忌み嫌われていた彼らの中に、「仏性」を見ていたことをむしろ評価すべきである。

忍性の救済活動には、行基というモデルがあった。行基は奈良時代において常に民衆と共にあり、橋を架け池を造り、貧民救済に従事した。後世、行基もまた文殊菩薩の化身であるという伝承が形成された。忍性は行基に私淑し、修行時代、彼の墓がある生駒(奈良県)の竹林寺に毎月参詣を続けた。忍性自身の遺骨も、遺言により同じ竹林寺に分骨されている。

中世では化身信仰は珍しいものではない。しばしば物語の主人公や伝説上の人物は、神仏の申し子とか神仏の化身という形で登場する。このことにより、彼らは一人の人間でありながら、神仏の加護によって人間以上の力や働きができるとされたのである。

忍性の文殊信仰にも似た要素があったのではないか。彼がハンセン病患者の内に、また行基の内に文殊菩薩の姿を見いだすことで、自分が仏教者としてなすべき社会的使命を発見した。そして自らの活動のエネルギーもまた、文殊菩薩から得ることができたからこそ、これほどまでの仏教事業を行えたのだとは言えないだろうか。

化身信仰は、決して過去の時代に属するものではない。それはまた単なるカリスマ信仰でも、ましてオカルト的な信仰でもない。それは人間でありながら人間を超えた神仏の力を、自らの内在的な行動力に変えていくことができる信仰のありようである。ここに、時代を超えた化身信仰の意義がある。仏教者が仏教者としての内なる力、また誰もが持つ「仏性」を引き出すことができるのは仏の力による。現代において、化身信仰をいま一度考え直してもよいのではないだろうか。


・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


>忍性の文殊信仰にも似た要素があったのではないか。彼がハンセン病患者の内に、また行基の内に文殊菩薩の姿を見いだすことで、自分が仏教者としてなすべき社会的使命を発見した。そして自らの活動のエネルギーもまた、文殊菩薩から得ることができたからこそ、これほどまでの仏教事業を行えたのだとは言えないだろうか。


すべての人が、神仏の化身であると言い得る。


>忍性の文殊信仰にも似た要素があったのではないか。彼がハンセン病患者の内に、また行基の内に文殊菩薩の姿を見いだすことで、自分が仏教者としてなすべき社会的使命を発見した。


人として格下と思われていた人たちに、本当の人間を見る。その逆転のための「化身」という発想と言い得る。
でも、それは「すべての人が神聖である」ということにつながる。


>近代ヒューマニズムの見方からすれば、ハンセン病患者を文殊菩薩の化身とするような回り道を経ず、同じ人間としての共感から慈悲の実践を行えなかったのかという意見も出てくるかもしれない。

ふと思うに、同じ人間ってなんなのか?って出てくる。

その人の尊厳とかは、唯物論からは出てこない。理性信仰では、理性の通じないことは手におえない。


あというと法華経の誤読による「ハンセン病患者差別」が、当時の日本にあった。<

参考 http://www.geocities.jp/michio_nozawa/03episode/episode41.html

参考 http://historivia.com/cat1/otani-yoshitsugu/867/

参考 https://www.amazon.co.jp/gp/aw/cr/rRF1ZLIP11M3JO

それを突破するのに、仏典の「文殊の化身」という発想を持ってくることで、それを打破したである。

近代ヒューマニズムでは突破できないモノを突破するための知恵だったのである。


なにかうまくオチがつかないけど・・。


お読みくださりありがとうございます。

henzyouhiryuu at 09:46 

2016年08月31日

そもそも碩学の叡尊も、葬儀をしていた。 


上記文抜粋
・・・・・・・
遺骨と遺体

曹洞宗僧侶・ネルケ無方氏の書籍に、「釈尊は僧侶が葬儀をしてはいけない、バラモンに任せろと言った」という記述がありましたが、それはたぶん、大般涅槃経を指してそう書いていると思うんですけれども、果たしてそうでしょうか。

ちょっと引っかかったので、再確認してみました。

まず、釈尊は「修行者はそれに専念して、ブッダの遺骨の崇拝に関わるな」ということをアーナンダに申し渡しています。それに対してアーナンダが、「それでは、世尊の遺体の処理について我々はどのようにすべきでしょうか」と問うています。

「我々は」です。「彼らは」ではありません。

もしアーナンダが的外れな質問をしていたとすれば、釈尊は再び「関わるな」と言うでしょうが、ここで釈尊は、「ブッダの遺体は転輪聖王の遺体の処理に準じで行え」と申し渡しています。

遺骨崇拝と、遺体の処理はここで別の事態として釈尊は述べているように読めます。

そして、遺骨崇拝は在家の者の仕事である、と。この「崇拝」は葬儀のことではないでしょう。葬儀は「遺体の処理」です。そしてここに関しては、修行者が関わるべきでない、とは言っていません。

実際に釈尊は、父王シュッドーダナの葬儀に際し、長男として棺を担いだ、という記述もどこかにあったと記憶しています。
そして釈尊の涅槃においても、マハーカッサパが「葬儀委員長」的な役回りで、儀礼を執行した形跡もありますよね。

ですから、「釈尊は僧侶が葬儀をしてはいけない、バラモンに任せろと言った」と言い切るのには、ちょっと疑問符がつきます。

また釈尊没後のかなり早い段階から、仏教僧侶の住居は都城の門外すぐのところ、つまり遺体を放置また埋葬、焼くような場所に住んでいたという最近の研究もあり、どうも遺体の処理(と供養)に関してはバラモンではなく、仏教僧侶の領分だったようです。
これは「穢れの観念」からも首肯できるところで、恐らくバラモンが遺体処理をすることはなかったと思われますし、仏教僧侶がその部分を担ったのも、歴史的事実でしょう。

ですから仏教が遺体処理を含む葬儀に関わっているのは、相当に初期の段階からであったのではないでしょうか。

このあたりの事については、近年、文献学だけでなく考古学的な視点からも新しい知見が出てきているそうです。まだこれからの分野ですし、僧侶を含め一般に認知されるには(誇張なしで)100年かかるでしょうが、楽しみではあります。


・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり



真言律宗が、中世に絶大な支持をうけた一因は「葬儀に積極的にかかわった」から。

鎌倉新仏教は、基本的に「葬儀をする」ので、それも支持を増やした一因。

天台・真言は、官僧になると、朝廷関係の祈祷の件もあり、葬儀に関われなかった。

朝廷関係の「官僧」を辞めて、それに力を入れる層もいたそうで・・・・。その典型の一つが「高野聖」


道元くらいの碩学の叡尊が葬儀をしているのだから、まあ坊主が葬儀をするもの、間違いではないってことに思う。


みょうちくりんな「インド仏教崇拝」は、実は本当の「釈迦の仏教」を見失うことになるかもしれない。




上記文抜粋
・・・・・・・
お寺でお葬式に手応え(1/2ページ)

2016年8月12日付 中外日報(時事展描)

寺院での葬儀を見直す動きが各地で進む中、岐阜県揖斐川町の浄土真宗本願寺派等光寺では寺院活動の活性化を目指して2月から「寺院葬」を始めた。石井法水住職(42)は「これまで3件の葬儀を行い、いずれも好評。すでに4件の予約もある。寺院葬を通して地域でのお寺の求心力を考えていきたい」と手応えを感じている。(池田圭)


地域ぐるみ、経費も半減

石井住職は父の前住職の急逝に伴って14年前に後を継いだ。前住職は兼職していたため、寺院活動には十分手が回らず、門徒らの寺との関わりも薄れていた。現住職はこれを改善しようと早朝勤行への参加の呼び掛けやヨガ教室の開講、各種のイベント開催などに取り組んできた。

寺院葬は寺院活動の活性化策の柱で、「お世話になったご門徒や地域の方々に対して、私やお寺に何ができるのか」との思いが大きい。

同町内の葬儀は近年、寺から数キロ離れた公立の斎場で行われることが多く、高齢者の多い地域住民からは「移動が不便」との声もあった。

等光寺での葬儀は原則として予約制で、門徒以外の申し込みも受け付ける。住職が生前に本人や家族から葬儀の規模などの希望を聞き、訃報を受けたら住職が提携する葬儀社に連絡。住職立ち会いの下、遺族と葬儀社で日程や荘厳などについて話し合う。棺や霊柩車の手配などの料金はそれぞれの単価を表示して会計は明瞭化している。

また、地元には葬儀の際に区会(町内会)から手伝いを出す決まりがあり、会場設営や後片付け、駐車案内、会葬者受付などを住職や坊守、区会の代表者で分担する。この結果、葬儀社からの派遣人員が減り、人件費の削減につながる。費用は近年主流の葬儀会館での葬儀と比べて半額程度(約50万円)になる。


寺業として3割が計画

2月16日に初めて営んだのは、89歳で亡くなった元総代の男性門徒の葬儀。本堂内陣の左余間に棺を安置し、約30畳の外陣に焼香台や会葬者席をしつらえた。「司会者が素人では円滑な進行に不安がある」との喪主の希望で司会は葬儀社に依頼する配慮もした。

この喪主は「仏様に見守られているような葬儀だった。いずれ母の葬儀もこの寺でやりたい。私も自分の葬儀に備えて息子を住職に紹介している」と話した。

石井住職は「遺族や葬儀社の方と話し合いながらつくっていく葬儀なのでやりがいがある。ご遺族が悲しみと向き合う場の一端を担わせていただけることが、僧侶としてありがたい」と言う。

同寺の寺院葬はまだ始まったばかりだが、「町を歩いていると住民の方にいろいろと声を掛けられることが確実に増えた」と、寺に対する関心が高まった手応えを感じている。

人材養成プログラム「未来の住職塾」の松本紹圭塾長によると近年、寺院葬に取り組む寺院は増えつつある。住職塾の受講者が提出する「寺業計画書」のうち、約3割が寺院葬を計画している。

松本氏は、葬儀に寺院が丁寧に関わることが寺檀関係の円滑な継承につながると考えている点が受講者に共通しているとし、「『家族葬』の普及など葬儀の小規模化の傾向を受けて『小規模な葬儀なら、うちの寺でも無理なくできる』と考える住職も少なくない」と説明する。

30年前から自坊での葬送に取り組む臨済宗妙心寺派神宮寺(長野県松本市)の高橋卓志住職は「誰のための葬儀なのかをはっきりさせねばならない。神宮寺では遺族にしっかり取材した上で、その家に応じた葬儀のプログラムを作り上げている。大切なのは故人や施主の思い。手間暇を惜しまないことが重要だ」と言い、さらには葬具調達の経費節減など葬儀に関わるコスト意識も求められると指摘している。


・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

寺院も正常化の動き?

かな・・





まあ、ほぼ備忘録程度に・・

お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 09:06 

2016年08月18日

お盆特集 消えゆく既得権型寺院・・・。それはそれなりに万歳ってことか。

卍 諸大乗経顕道無異 卍 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
供養寺、布施、相場?

2016年08月14日 | 仏教・思索

葬儀の布施が高いの安いの、amazonで僧侶が派遣されるの、直葬だの何だの、おカネに絡むような話題がマスコミベースでも取り上げられていますが、その前提の知識や認識として、……たぶん皆さん、僧侶がお布施を右から左に使えると思ってるでしょ?
一時間の葬儀ですげー時給だな、的な。
甚だしくは、税金を払ってないとか(笑) どこの法律に、僧侶は無税とか書いてますか? あり得ません。宗教法人は、その本務に関わる部分のみは無税ですが、これは社会福祉法人や学校法人とおなじ公益法人だからで、宗教だから、ではないんです。そしてこれらの法人職員も、普通に税金を払ってますわな。
学校法人=教員じゃないのと同様、お寺=僧侶ではないのです。


そもそも供養寺と檀家の位置付けがおかしいんですよね。

寺は檀家が共同で維持して、僧侶はそこに請われて住して維持管理と法務をして修行してるわけで、お布施の大半は寺院運営と本尊護持に使われるんだから、檀家の共有財産なんですよね。

そこから生活費などをいただく分は「僧分(=給与分)」ですが、それ以外は「法分(=法人会計分)」なんで、坊主丸儲け、ってのは違います。寺院財産は共有の寺院の財産です。

このあたりの原則が、檀家もわかってないし、僧侶も寺院をあたかも私有のように考えてるからおかしいことになる。

檀家の立場としては、功徳行云々とは別に、自分達の祖先や故人に関する供養のための寺院の共同維持に参画するためにするのが布施なわけで。その総額が檀家の総意ですから、「いくらが相場」じゃなくて、維持するだけのものが、建物の規模や檀家の数などを勘案してケースバイケースにどのくらいかかるか、主体的に考えるべきでしょう。
改築やなんかも、本来は住職じゃなくて檀家の考えることです。もちろん住職はそこに住んでて状況を把握してるから提案を出すケースはあるでしょうが、寺は住職のもんじゃないんだから、もっと檀家が考えるべきことです。

僧侶も、寺院を私物化して抱え込んだりするのは論外でしょう。あくまでも檀家が、供養のために、自分達の寺に請うて呼んでるのが、住職です。釈尊が信者の家に呼ばれていって布施を頂いて説法しましたが、それを常設したのが、供養寺です。その家までが釈尊のものになったわけじゃない。

道場、祈祷寺院はまた事情が違うでしょうが、少なくとも地域に根差す供養寺は、そういうもんだと思います。同じ「寺」でも、まったく性質が違うんだと思います。

・・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり




http://blog.livedoor.jp/namikirihudou/archives/2544555.html


上記文抜粋
・・・・・・
2016年04月14日

お坊さん便・・・
色々なメディアで紹介されている「みんれび お坊さん便」、現在はAmazonでも取り扱っている。
法事・法要の総額35,000円と言うものであるが、果たして安いのかと考えるなら疑問ではある。

詳細はわからないが、じっくり拝んだとしても一時間強の読経時間だろうか。
お墓などへの移動を伴ってもプラス一時間と思われる。(移動料追加として10,000円プラス)
交通費が発生するとしても時給数万円の報酬である。

労働賃金の引き上げ云々の話からしても、途方もない報酬と考えられる。
しかし、これに仏教界が猛反対しているとか。
反対理由はそれらしいことを言っているようだが、その実利用者側の立場には全く立っていないと思われる。

俺は反対している僧侶たちに言いたい。
「世の中をもっと見てはいかがだろうか」
あの世の仏様の事はよくお分かりなのかも知れないが、庶民、低所得者層の事はご存じないと考える。

数十万、数百万の戒名料や、ばか高い葬儀費用は極々一部の富裕層しか払えない。
それはおかしいのではないのかと。

正直、35,000円と言えども俺は安いとは思わない。
もっともっと本当の人助けが僧侶には必要なのではないかと思う。
反対する前に、実際に困っている人の声に耳を傾ける必要があると強く言いたい。

でないと、二十年後には仏教寺院は相当数廃寺になってしまうだろう。

などと俺は思うのだが、皆さんの考えはどうなのでしょうか。

突っ込みが甘いかも知れないが、この位で。
Ryu

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・・・・
抜粋終わり



十輪院 HP より

上記文抜粋
・・・・・・
平成27年12月8日にAmazonが「お坊さん便 僧侶手配サービス」の販売を始めたのを受けて、全国の伝統仏教寺院を統括する全日本仏教会は、理事長談話として反対声明を出しました。<文末に掲載>

「宗教行為をサービスとして商品にしている」「布施という行為は修行であり見返りを求めるものではない」、つまり布施はサービスの対価ではなく、従って値段を付けるものではないとの建前論を展開しています。しかしこれは、日本の現在の宗教事情をまったく無視した内容で、多くの信者、僧侶双方にも受け入れがたい内容であります。

近年の社会構造の急激な変化により、寺を支えてきた檀家制度は崩壊に向かい、都市部に人口が集中し、過疎地の寺は存続が危ぶまれています。菩提寺とは疎遠になった仏教信者は葬儀社などに僧侶の紹介を求め、その一方檀家が減少した寺々も維持存続のため都市部に活路を求め、葬儀・法事などの紹介業者に多くを依存しているのが現状です。

更に談話の中で、Amazonの宗教行為をサービスとして商品化するのは「諸外国の宗教事情を見てもこのようなことを許している国はない」「宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ない」」とも言っていますが、諸外国の仏教寺院と日本の仏教寺院とでは運営の仕方に大きな差異があります。

諸外国の仏教僧侶は布教だけに専念し、寺の運営は信者代表などが行います。一方、日本の寺の住職は布教だけにとどまらずおおむね代表役員という立場にあり、宗教活動と共に寺を運営するという経済行為をしなければなりません。寺を維持していくためには計画的な収入の見通しが求められます。しかも日本の僧侶は妻帯し家族を有しているのが一般的で、扶養の必要性が存在します。諸外国の仏教僧侶が妻帯できないのとは大きく事情が異なります。

全日本仏教会は、5年前のイオンの葬儀や布施の金額の明示に関しても非難し抗議しました。これらの非難は日本の寺院を取り巻く現状を理解せず、建前論ばかりを掲げているに過ぎません。都会に出てきている信者が寺を探すのに苦労し、地方の過疎地の僧侶は自坊の寺の維持に困窮しています。その結果がイオンやAmazonの宗教介入になっています。

本来は全日本仏教会こそが信者と僧侶双方に救いの手を差し伸べ、具体策を示す努力をしなければなりません。しかしこの5年間の間に何の進展も見られません。今のような仏教会は果たして必要かどうか、そこまで真剣に考えなければならない時に来ています。



平成28年1月3日
十輪院 住職 橋本純信
全日本仏教会理事長談話
「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」について

去る12月8日、「Amazon」は僧侶手配サービスを販売開始しました。これは、「株式会社みんれび」が2013年から展開している「お坊さん便」というサービスで、全国どこにでも定額で僧侶を手配するというものです。

背景には、「読経してもらいたいが、お寺との付き合いがない」「お布施をいくら包めばいいのか不安」といった社会からの声があるといいます。

これには、販売当初より大きな反響とともに賛否の声が寄せられており、定額で分かり易いという声がある一方、仏教界からは宗教をビジネス化しているという批判が起こっています。

私ども公益財団法人 全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。

申し上げるまでもなく、お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。

今回の「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、およそ諸外国の宗教事情をみても、このようなことを許している国はありません。そういう意味で、世界的な規模で事業を展開する「Amazon」の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。しっかりと対応していきたいと考えます。

今回のことを通して、私ども伝統仏教界は、お寺は相談しにくいという声を真摯に受けとめ、社会のニーズに耳を傾け、これからの教団・寺院運営に反映していかなければならないことを付言しておきたいと思います。

・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


既得権型寺院は衰亡し消滅していく。

檀家制とかシステムでなく、生きている人に向かい合う寺院だけが生き延びる。

これをマボサク的な言う方をすると「宗教は無くなる」ってことに思う。

そういう看板で人をだますのは、もうやめたら・・・



お読みくださりありがとうございます。

henzyouhiryuu at 18:02 

2016年08月08日

日本の神々は、神社本庁を許さない。


上記文抜粋
・・・・・・

> のんびりさん

>熊本地震がきっかけで、色々と調べ出し

そういった意味でも、地震を含めた事象って、神々のメッセージなんですよね。
神道政治連盟の神社本庁は、いわゆる神社神道とよばれますが、あれは神道ではない。ただの神社信仰です。
一般の人は、神社に行けばそこに神様が常駐してると勘違いしてるんでしょうけど。
ちょうど無黒点のときに、オワリ名古屋のラジオで、放送中に宮地が神野を殴った事件ありましたけど、宮が神を殴る、これまんまいまの神社本庁およびその政治団体である神道政治連盟の姿です。
上関原発建設問題における四代正八幡宮宮司の解任もそう。
だから熊本地震で阿蘇神社の楼門と拝殿が倒壊って、参拝を拒絶したようなメッセージが来ちゃうんです。
2016/8/8(月) 午後 9:15[ めねふね ]返信する

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抜粋終わり

>宮が神を殴る、これまんまいまの神社本庁およびその政治団体である神道政治連盟の姿です。
>上関原発建設問題における四代正八幡宮宮司の解任もそう。
>だから熊本地震で阿蘇神社の楼門と拝殿が倒壊って、参拝を拒絶したようなメッセージが来ちゃうんです。


これその通りと思います。

いずれ、神に殺されますは神社本庁・神道政治同盟は・・。



お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 21:37 
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