2015年09月05日
先祖供養は、先祖の尻ぬぐいでもある。あとついでに。
最近思うこと。
仏教系サイトを見て思ったこと。
だいたい「先祖供養が重要」という。
でも、先祖の悪事に苦しんでいる人には、普通は「糞喰らえ」でしょう。
でも、実は「先祖供養とは先祖の悪事を是正することである」
と思った。
人間だから過ちもある。先祖も然り。
人間の気質や運は、
1・遺伝
2・ミーム
3・教育
4・社会
5・仲間
とかある。
1と2は確実に先祖経由である。
遺伝も「人間を作るルールの一つ」にすぎないが、それだけでもやはりそこそこ制約力がある。
ミーム{文化遺伝子}も、慣習・考え方とかで、それを規制する。
だいたい、人間は半分は「家族・家庭」が、原因で不幸になる。
で、不幸の原因である、ミームや遺伝をなにか是正する古来からの方法が「先祖供養」だったと思える。
易の山風蠱もそうだ。
先祖が憎いと、供養したくなくなり、不幸にも逆の悪循環をしてしまう。
先祖供養という「悪習の是正を先祖に突き付ける」行為をすることで、幾分か、現在の不幸・不吉を是正ができるということだろう。
先祖は、それなりに敬意を持つべきだろうが、「負の遺産」もそれなりに背負わされている。
駆け引きや対応が大事に思える。
ただ這いつくばって「崇拝」するだけなく「礼節をもって、敬う。時には脅す。」ことが大事なのであろう。
先祖供養という形で、先祖に「貴方たちの過ちを糺せ!」ということなのだろう。
一に「感謝」、二に「糾弾と是正」
1が無ければ、2には起動しない。
「糞野郎が!」としか思わない相手には対応しないってことかもしれないし、
別の観点では、それでは「起動ボタン」を押せないってことのようです。
まあ「感謝」すると、仮に「糞先祖の負の遺産」以外の「宝物」を見つける端緒にもなるので、軽視してはいけない。
で、それで子孫たる我々が繁栄すると、それも先祖への報恩・供養なのであろうし先祖の幸いだろうし。
あとついでに、なんとなく近くの観音さんに「百日参り」を実験中。
大石順教さんの本にちらっと乗っているのを思い出し、先日の結構かわいい観音さんが良いので、やってみようと。
てな話。
ではまた。
お読みくださりありがとうございます。
henzyouhiryuu at 21:19│
│寺社巡礼とか