2015年08月18日

経済合理性のために失われた「メメントモリ・諸行無常」の代償

リテラ より

上記文抜粋
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『おくりびと』ではわからない葬儀屋・納棺師のエグい裏側!「費用は上乗せで倍に」「ヤクザは家族葬」「戒名はPCソフトで」


映画『おくりびと』や檀蜜のおかげで、以前よりメジャーになった感のある葬儀屋・納棺師の仕事だが、やはりまだまだ知らないことがたくさんあるようだ。
 葬儀屋を経て漫画家となったおがたちえが納棺師・nontan氏の協力をもとに書いたコミックエッセイ『葬儀屋と納棺師が語る不謹慎な話』(竹書房)には知られざる葬儀屋・納棺師の裏側が描かれている。
 まず気になるのは、一体どういう理由で、葬儀屋・納棺師になったのかということだ。同書では、「同僚に聞いた話」として、【1】実家が葬儀屋だったから、【2】身内の葬儀でスタッフの仕事に感動したから、【3】映画・ドラマを見て、【4】死体マニア、という4つの理由が挙げられている。それにしても恐ろしいのが、「死体マニア」だから葬儀屋になった、というケース。たしかに葬儀屋であれば、合法的に死体を扱うことができる。とはいえ、そんなおぞましい趣味を仕事にすることは倫理的にどうなの?という疑問が浮上するのも事実。ただ、仕事にしてくれたおかげで、妙な事件が起きずに済んでいるのかもしれないと考えれば、悪いことではないのかもしれないが……。
 同書では、葬儀業界における悪徳業者の手口も描かれている。代表的なものが、料金の上乗せだ。人が一生の中で葬儀を行うのは、数回程度のこと。プロでない限り、その料金の相場を熟知していることはあまりないのだ。そんな“素人”を相手に、悪徳葬儀屋はありえない料金を請求しているわけだ。
 葬儀では、「消耗品費」「宗教用具一式費」「会場使用費」などの名目で料金が請求される。それらの中で“上乗せ”が発生しやすいのが、「施行委託費」や「施行管理費」。これらは要するに「葬式の運営費」ということなので、明確な相場もなく、業者の“言い値”になりやすいというわけなのだ。
 さらに「お花代はだいたい仕入れの倍で提供」「祭壇はもともと使い回しだから利益の出どころ」と、次々に上乗せがされてしまう模様。「だいたい100万円のプランで見積もっても最終的には倍にしちゃう」とのことで、葬儀の費用には気をつけたほうがいいかもしれない。
 お金のことで言えば、「戒名」の相場もあまり知られていない。「戒名」にはランクがあり高くなるほど僧侶に払う金額も高くなる。たとえば、「〇○院」という戒名は100万円以上、「〇〇○○居士/大姉」なら60~80万円、「〇〇○○信士/信女」なら30~40万円、「故〈自分の名前〉之霊」だと20万円が相場とのこと。最近はパソコンのソフトで戒名を作っているお寺もあるとのことで、何十万円も払うほど有り難いものでもないような気もしてしまう。


一般人は葬儀についてよく知らないことが多く、どうしても足元を見られがちだが、一方で葬儀屋のほうが多分に気を遣うのが、ヤクザの葬儀だ。とにかくメンツにうるさいのがヤクザというもの。たとえば看板の文字を間違えただけでも、「弁護士が立つほどの大クレーム」になることがあり、葬儀屋には「ヤクザ担当のベテランディレクター」なるものが存在しているという。
 また、ヤクザの葬儀には警察もやってくる。もちろん周囲の安全を確保するためでもあるのだが、「遠くから参列者を1名1名写真撮影する」ためでもあるのだという。ヤクザの葬儀では、指名手配犯が参列することも多く、警察はその逮捕のタイミングを狙っているのだ。
 しかし、ここで問題となってくるのが、「暴力団排除条例」の存在。暴力団と交際したり利益を与えたりする一般市民を取り締まるこの条例によって、ヤクザの葬儀を請け負えなくなるケースが増えている。葬儀における香典が暴力団の資金集めとみなされることもあり、施行した葬儀社が処罰されることもあるのだ。
 とはいえ、ヤクザといっても人間であり、死んだら当然葬儀を開くことになるわけだが、そこにつけ込むのが悪徳宗教者だ。たとえば、通常30万円の使用料で貸している会場を200万円ほどでヤクザに貸そうとする悪徳僧侶もいるという。まったくもって聖職者とは思えない銭ゲバぶりだ。
 ちなみに、nontan氏の葬儀社では、「組葬」という形ではなく、「家族葬」という形で、ヤクザの葬儀を執り行うとのことだ。あくまでも組織に対する利益供与にならないよう配慮しているものの、何百人もの参列者が訪れることも多く、結局は「組葬」のような大規模な葬儀になっているようだ。
 同書からは、我々がどんなかたちで死を迎えるのか、という実態も伝わってくる。納棺師のnontan氏の経験では、もっとも多い死因は病院での病死で約5割。次いで、多いのが孤独死で、全体の2割ほどを占めているというが、この現場がかなり凄惨なものらしいのだ。
 たとえば、認知症の男性が孤独死した時のケース。nontan氏がその男性が独り暮らしをしていた家に行くと、なんと壁一面に“ウンコ”が塗りたくられていたというのだ。認知症となっても介護を受けることもなく、壮絶に孤独死を迎えた様子が容易く想像できる。
 また、発見された時点でミイラ化している孤独死の遺体もあるという。こういった状況に、警察や葬儀屋は完全に“慣れっこ”になっているようで、警察は「これなら火葬しなくて 大丈夫そうだね 今日は楽だね 葬儀屋さん♪」などと、ジョークを飛ばしているらしい。
 誰しも必ず迎えるものなのに、とにかく知らないことばかりな葬儀の世界。悪徳業者に騙されないためにも、もっともっと葬儀のことを知っておく必要もありそうだ。
(田中ヒロナ)



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抜粋終り


葬儀がおかしくなる。

ある意味当然に思う。


そういえば、昔
「政治家は、医者と宗教家。この二つの職業で信用できる人を、一人づつ持つべき」

と言われていた。

宗教家て、最近では「祈祷師」のように変わっているけど、あのことは本当の「宗教家」だったように思う。
「死を思う・メメントモリ・諸行無常」を知る人を持たないと、安心も覚悟もしきれない。っていうか。


まあ良し悪しはあるが、地域でまだ葬儀していた時は、出家も葬儀屋もある程度、顔なじみで無茶はできなかった。

現在でも「ある程度信用できる僧侶がいると、無茶な出費は無い」と聞く。




先祖供養。って盆・彼岸をする。

一応日本ではこの盆・彼岸が先祖供養のメイン。

で、このときに親戚が集まって、するわけです。


西洋的な考えで「先祖供養など、現世利益で、我利で関係ない」っても一理はある、

でもこの行事を通じて、「家族・自分・世界のつながりを確認して、死を思う」

という「メメントモリ諸行無常」を感じる大切な機会になる。


中国清朝は、江戸幕府よりもキリスト教に好意的だったがキリスト教布教者が「先祖供養を馬鹿にする・大切にしない」てことがあまりひどいので激怒して叩きだしたってことだ。

中国人に取り大事な習俗であっただけなく、これが中国人の「メメントモリ・諸行無常」を知る大事な機会を奪われることへの激怒であると思う。


まあ日本・徳川幕府がキリスト教を叩きだしたのは、「他の宗旨を暴力的に弾圧するのを宗教の善行とする」ってのには我慢しきれなかったからだが。



これも昔だが、「芸能人は親の死に目に会えない」という言葉がある。

それだけ過酷で業の深い仕事であるってことだが、マスコミの妙な喧伝や美談化で、この数十年は「仕事ができる誉れ」のように解釈され、親の介護をすることも「仕事の邪魔」と会社からも国家からも保障されない。

「親の死に目」という「メメトモリ・諸行無常」機会を奪われ、同時に家族・親子の恩愛を断ち切るのを「社会のために、出世の誉れ」とされる社会になった。



経済的合理性や、妙な西洋の合理的宗教思想のために、家族の恩愛も「諸行無常・メメントモリ」の機会を失う。


葬儀はおかしくなり、家族はバラバラになり、坊主もマトモやつとは知り合えずボッタクにされる。

最後は、日本人が皆奴隷か畜生になってしまう・・・


「先祖の奴隷」ではないので、先祖供養に血眼になるものは阿呆だ。
だが、先祖・先達のおかげもあり、我々は生きているので、「先祖供養」をしないのは忘恩の無知で根無し草になる。


先祖に手を合わせているのか、それとも万物万霊に手を合わせているのか。本当はわからんのかもしれない。


「家族の恩愛」も「諸行無常」も脆弱になり、日本社会のモラルを支えていた見えない綱が切られている。

それにすら気が付ない我々も、愚かですよね・・・。




お読みくださりありがとうございます。

henzyouhiryuu at 17:30│ 政治とか 
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