2016年09月

2016年09月23日

いっちょ行ってみた。白旗観音寺 

白旗神社との絡みで、加古川市の白旗観音寺にぶらっと行ってみました。

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白旗観音寺 公式 HP 

久しぶりにお参りしましたが、予想外に「霊威・力」がある感じでした。

本堂にお参りして、観音経偈と心経と真言をあげてきました。

妙に「力あふれる」感じ。


なにせ絵馬堂には、2000年奉納の絵馬とか、平成16年奉納絵馬もあります。戦前のになるけど、「病気平癒のお礼」の絵馬もありました。

お堂にたくさん、ここのお守りを結び付けられているし。


白旗神社とは関係ないけど・・・・、航海の観音さんなので・・・。


まあ少し珍寺なところもあるので



報告みたいなもので。


お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 19:57 | 寺社巡礼とか  

2016年09月22日

ちょっと参考に  葬礼・墓の一考察。


上記文抜粋
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核家族化 熟年離婚 など 
いずれ 待ち受ける 死に 日々 近づいているのを 
愚かな 衆生は 忘れている。 

先日 一周忌を 拝んだ お宅…

子息は 霊園 墓石 会社勤務…

今時 墓石造らず 
墓碑撤去も 増える…

兵庫県 甲山大師の 納骨堂の 話しを 出して 

墓碑建立出来ない家の 納骨堂式 墓地の あり方を 話す 

霊園墓碑会社 
宗教法人が あるので 

小型軽量の納骨堂用の、五輪塔を 造り 個別の 納骨施設と 

大型 五輪塔 を 建立し 共同 埋葬墓地 を… 

リーズナブルに 提供しないと 
墓石会社は 
存続出来ない…

社長に 進言すべし…と 伝える… 


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・・・・・・・・
抜粋終わり

>小型軽量の納骨堂用の、五輪塔を 造り 個別の 納骨施設と 

>大型 五輪塔 を 建立し 共同 埋葬墓地 を… 


こういうの一つの妙案に思う。

あまりに墓が高い・葬儀も選ばないと銭だけ取られて中身の薄い葬儀やボッタクをされるので・・


なに参考になれば・・・


お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 10:21 | 政治とか  

2016年09月21日

月参・・に。  再び 大龍寺に・・・。

お彼岸です。

21日は、大師縁日てこともあり、須磨寺も良いけど駐車場で混みそうなので、神戸市中央区の

「再度山大龍寺」に。


とはいうもの、まあ一時間以上車に乗って結構時間かかりました。

本堂の観音さん等々、仏さんにお参りして、

納経所というか、講堂と庫裏と一体化した場所にもお詣りして、そこのお不動さん・愛染明王にも参拝。

大師縁日ってことで、お弁当の接待を受けました。美味しかったです。


あと久しぶりに護摩木に願い事を書いて、摂津三十三観音の御影というか散華もいただきました。


神戸市て言っても、須磨よりも三宮とか都会に近いので、参拝者も、少し「都会ぽい」気がしました。

結構な深い山の中ですけど。

以前、摩耶山天上寺にお詣りした時は、若い男性二人が、大変おしゃれな靴を履いて参拝しているのをみて、妙に感心しましたが、神戸ですよな・・・て。


講堂の脇に、吉祥天さんが置いてあったので、お参りついでに、携帯の待ち受け用に写真をとりました。


このお寺の娘さんか息子さんのお嫁さんかわかりませんが、若い綺麗な女性が居ましたが、ふとこの吉祥天さんに似ているな・・・て思いましたね。


確実とは言い得ませんが、お寺で綺麗な仏さんがあると、それとよく似た女性がそのてお寺にいることがあるみたいです。

呪術的なのか、縁というか引き寄せというか・・・


うちの観音さんも、結構「かわいい」ので、真面目に拝んで、かわいい嫁さんと縁があればな・・・・と妄想したり期待したり・・・。


まあ画像はないですけど。こんな感じで

画像の参考に こちら


お読みくださりありがとうございます

henzyouhiryuu at 18:24 | 寺社巡礼とか  

2016年09月20日

糞坊主が、日本を侵す。 トンキンの耶蘇・天皇教徒の抹殺の次は、白足袋の粛清が不可欠かな。


上記文抜粋
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仏教と高級車とクルーザーとゴルフ
こういう悪徳僧侶が“寺離れ”の1つの原因かもしれない。

「宗派、国籍にとらわれず幅広い信徒が集まる“みんなのお寺”を標榜し、4年前に檀家制度を廃止、ゆうパックによる送骨(お骨を送る)サービスも承っています」

そう語るのは、日本一の“暑さ”を競う埼玉県熊谷市で、400年もの歴史を持つ仏教寺院曹洞宗「見性院」の23代目住職、橋本英樹さん(51)。敷地内には、《居士・大姉 導師1人30万円》と「お布施一覧」の看板が張り出されている。このお布施の“定額化”も橋本さんのアイデアだ。

「“お気持ち”を金額に表したのですから、ほかの寺からの反発はあります。日々、仏教界のタブーを犯しているので、怪文書まで出回る始末です。革新的なことをすれば、必ず軋轢は生まれます。でもその変化を恐れていたら、近い将来、日本のお寺は必ず立ち行かなくなる。それほど、追い詰められているんです」

お寺は全国に約7万6,000箇寺あり、約5万店のコンビニ店の数よりも多い。

「全体の16%の寺には常駐する住職がいません。地方に行けば、“廃寺”と化しているお寺も珍しくない。ではなぜ“寺離れ”が起きたのか。それは仏教界が、人々の葬儀や寺、お墓に対する価値観の変化についていけず、何の対策もしてこなかったからです」

では、“尊敬されるお寺”を取り戻すためにはどうすればいいのか。

「葬式の相場はあってないようなもの。同じ葬式が150万円になったり200万円になったりします。見積りで『200万円です』と言っておきながら、請求段階で10万、20万と上乗せしてくるケースも多い。しかも、もっともらしく端数入りの数字が並んでいたりします」

10年ほど前、ある葬儀に派遣されたときに、80万円のお布施をもらったが、仲介僧侶や葬儀業者にマージンが渡り、橋本さんの手元に残ったのは25万円だったという。

「違和感があったんです。ご遺族の気持ちを無視しているといいますか、知らないところで“勝手に分ける”その感覚に」

そこで、仲介手数料を発生させないように、可能な限り業者を入れない葬儀を目指した。

「会場の設営や、お弁当や花の発注など、霊柩車の運転手以外は全部寺で請け負っているので、だいぶ安くできている自負があります」

安さばかりを追求しているわけではない。一般的には避けられている「本堂に遺体を入れる」葬儀も行っている。

「セレモニーホールでは経験できない荘厳さがあります。寺が“業者と競い合う”ことで、良質な葬儀を提供できる機会が増えると思っています」

また「見性院」では、入口にある《心得》には、《ゴルフ、釣りはしない事》《高級車に乗らない事》など、戒めが掲げられている。

「経営が厳しくなったとはいえ、いまだに儲け重視の僧侶がいることは確か。そういった僧侶が集まれば駐車場はモーターショーのようになり、話題といったらゴルフのことばかり

高級時計は当たり前。釣り好きが高じて、クルーザーまで所有する強者もいるという。

寺格(寺の格)が高いと、戒名1つで200万円、葬儀で1,000万円くらいはザラ。本来“浄財”というきれいなお金であることを忘れ、高級外車を経費計上する僧侶もいます。先日もウチに相談に来た方に聞いたのですが、ある寺で『お金がないので葬式はやれません。納骨のときのお経だけお願いしたい』と言ったら、僧侶が『ふざけんな、お前!』と品位に欠ける言葉で責め始めたと聞きました」

多くの真っ当な僧侶は「出せるだけでよろしいですよ」と言ってくれるのだろうが、こういう悪徳僧侶が“寺離れ”の1つの原因かもしれない。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160917-00010000-jisin-soci


ある意味、欧州方面のご本尊様にちゃんとお布施する坊主の所にカネが流れるようにできてるわけですよ。末端の仏教徒は騙され損ですけどね。(爆wwwwwww


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

糞坊主も、日本列島に寄生している害虫である。

耶蘇・天皇教徒の次に、この白足袋連中を大掃除です。

坂本竜馬が、怒りと希望を託して、幕末に仏教界に一喝をしていた。

熊楠が、日本の仏教・特に密教に「未来」を見出していたが、正味多くの僧侶には絶望していた・・・。

大掃除しないと、二人の豪傑の思いと大戦略を、列島の衆生は実現できない。


お読みくださりありがとうございます。


henzyouhiryuu at 09:47 | 政治とか  

2016年09月19日

真田丸丸・・・

代替案のための弁証法的空間   より  


上記文抜粋
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真田丸 第37回「信之」感想


 今回は観るのがつらい回でした。
 大谷吉継は涙を浮かべながらも「治部楽しかったぞ」。石田三成は無言のまま笑みを浮かべる。二人ともやり切った、悔いはないという表情であの世に旅立っていきました。合掌。
 あなた方が治めた近江も越前敦賀も、あなた方の志を受け継いで、今日も立派に発展しております。 

★真田軍最後の抵抗について

 冒頭、関ケ原の敗報が伝わっているにもかかわらず、徳川に降伏するのを拒否し、上田城を包囲して残留している徳川軍に切り込みをかけるパパ昌幸の最後の闘志が見られました。このシーンを描いてくれたのはよかったです。高梨内記の殺陣シーンが見られたのは、ドラマ全編を通してこれが初めてだったような・・・・・。
 大坂城が徳川の手に落ちたという報告を受けて、抗戦をあきらめざるを得なくなったときの昌幸の悔しがり方、迫真でした。実際、今から416年前の真田昌幸の悔しがり方もあのようではなかったのかと・・・・。

 今回が見納めの昌幸着用の鎧は、若き日の武藤喜兵衛が信玄公より授かったと伝わる「昇梯子の鎧」です。草刈昌幸が、この鎧を身につけて殺陣を行うシーンは、「真田丸」全編中でも、最初で最後になりました。昌幸がこれを着用して戦う姿を見れただけでも、私は満足です。

 昇梯子の鎧、現物は松代の真田宝物館にあります。無用な装飾のない、いかにも戦国風の実戦本位のシンプルなつくりに感動します。(ちなみに上田よりも松代の方が観光資源としては、はるかに見るものは多いので、真田丸ファンの皆さま、上田のみならずぜひ松代にも足を延ばしていただきたく存じます。)

 史実では、9月15日に関ケ原の本戦があり、それから一週間後の9月23日に真田信繁が葛尾城を朝駆けで攻撃したという記録があります。ドラマでは信繁は父を抑えていましたが、実際には信繁が先頭に立って戦っています。(ちなみに私は、敗戦を認めたくなくてヤケになって奇襲したというわけではなく、上杉との連携のもとでの綿密な作戦計画に従った攻撃だと考えています)。

★信之の改名について

 今回の三谷脚本で斬新だったのが、信幸が信之へと改名するのは家康の命令であったという解釈。家康は「幸」の字を捨てるように指示したが、信幸は最後の意地で、字は変えても読みは変えなかったと。私は徳川の目をはばかって、自発的に改名したものだとばかり思っていましたが、斬新な解釈だと思います。

 ドラマ開始当初の小心でかわいい家康から、貫禄たっぷりのラスボスへの変貌ぶりも見事です。一年のドラマの中で、一人の人間が変化していく様子を、ここまで描ける脚本も、また演じる役者もすごい。
 (地位が人間を変えると言いますが、研究者業界でも、権力に迎合して御用学者に変化し、尊大になって、Sっ気が出てくる人、いますからね~)

 最近NHKで発表されたところによると、なんと信繁は大坂入城後、実際に「幸村」と名乗るとのことです。私も、実際に改名したと考えている一人ですので、この決定はうれしい。
 三谷さんも、脚本を書き進めるにしたがって、信繁の感情とシンクロするに、やはり改名したはずだという考えに至ったのではないでしょうか。
 信之は、徳川への忠誠の証として祖父と父の通字であった「幸」の字を捨て、「信」を通字として徳川に仕えた。それと同様、信繁も豊臣への忠誠の証として、徳川方の真田の通字である「信」の字を捨て、信幸が捨てた父譲りの「幸」の字を拾って、それを徳川に抵抗するシンボルとしたと思います。信繁の心境になってみれば、改名しなければ不自然です。

★秀忠はハマり役

 それから星野源さんの秀忠、これまでに描かれたどの秀忠よりも、いちばん本当の秀忠に近いような気がしてきました。最初、秀忠はコメディ路線で行くのかと思っていましたが、そうではなかった。あの融通が利かない一本気なところ、本当にそうだったのでは・・・と思えてきます。
 秀忠と正純の二代目コンビの描き方、なかなか見事だと思います。
 上田城の明け渡しを倅の信幸にやらせようという家康に、本多正純は「内通しないとも限りませぬ」と釘をさす。絵に描いたような官僚主義的対応・・・・。

 この後、秀忠は、外様の福島正則から、一門の松平忠輝や松平忠直から、最後の仕上げは腹心の本多正純・・・・と、法度に背けば、情を挟まず即改易と、淡々と政務をこなしていきます。「おめぇには情ってものがねえんだよ~」と叫びたくなってくるような官僚主義です。あの融通の利かない星野秀忠でしたら、実際にそういうことをしそうなので、納得できます。

 葵・徳川三代のときの西田秀忠は、とてもそんなことはしそうもない人物に描かれていたために、その辺の史実とはギャップがありました。

★夫と次男と別れた母上の嘆き様

 ドラマの中で夫と次男と別れる母上の姿が、現実世界で苦悩する姿と重なってしまい、見るのが辛かった。あのシーンが事件の前に収録されたのだとは、にわかに信じがたいほどのやつれ様でした。


P.S.
それから本日いちばんのサプライズは、堺雅人の公約実現でした。本年正月のブラタモリの真田丸特番で、上田城を歩いていた堺雅人が、「烏帽子岳が三回冠雪すると、里にも雪が降る」という話を聞いて、「あ、それドラマの中でアドリブで使っちゃおうかな~」と言っていた冗談話。これが冗談にならず、ドラマの中で、信繁が小山田茂誠に向かって、実際にこのセリフを発するのですから・・・。これは驚いた。
 このウラ話、堺さんから聞いてみたいですね。堺さんの提案か、それともブラタモリを見ていた三谷さんが脚本に組み込んだのか・・・。どっちでしょう?




・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


まあ、ほぼ同感。

私は少し小早川秀秋の描写が、気に食わない。
 
秀秋は、下手したら石田三成に粛清されかねない立場なので、裏切った面もありますし、そこそこ優秀なので。

「自分は正しいことをした」と強弁を続けて、心身が疲弊して死ぬ・・・て感じの方がよかったと私の感想。



あと秀忠は家康から「官僚主義」的なところも買われて、後継者になった。

秀忠は、その政治力で、幕府を盤石なものにして、後に渡したというところもある。

漫画「ひょうげもの」で家康が、秀忠の官僚主義に過ぎるところを是正させるために、ひょうげものの古田織部を茶の師匠にするという設定があるし。


立花宗茂とか水野勝成とか、これも一癖も二癖もある古強者を重用するところも、秀忠の面白いところ。

その癖が秀忠の長所というべきかな・・・


信之が、秀忠の在世中に、加増を受けている。


癖あるけどね・・この加増も・・・。十万石を超えるので「格が上がった」面もあるが、真田の故地から引き離す面もある。

真田からみたら「えげつない嫌がらせ」 

徳川から見たら「皮肉も込めた賞賛と賞与」


ってことになる。



まあ、たまにはこういう歴史オタク話も・・



お読みくださりありがとうございます。


 

henzyouhiryuu at 10:36 | 歴史とか  

2016年09月13日

すべての人が、神仏の化身かもしれない。

中外日報 より

上記文抜粋
・・・・
忍性と行基 「化身」という信仰のかたち

2016年9月7日付 中外日報(社説)

今年は鎌倉時代の真言律宗の僧、忍性の生誕800年に当たる。これを記念して奈良国立博物館で開催された特別展を見学された方も少なくないと思う。

忍性はハンセン病患者の救済に携わったことで知られる。彼はハンセン病患者を文殊菩薩の化身と見た。『文殊師利般涅槃経』によれば、文殊菩薩は貧窮孤独の衆生の姿で福業を行う者の前に現れ、この菩薩を礼拝することで生死の罪科を滅することができる。

近代ヒューマニズムの見方からすれば、ハンセン病患者を文殊菩薩の化身とするような回り道を経ず、同じ人間としての共感から慈悲の実践を行えなかったのかという意見も出てくるかもしれない。しかし、これこそ近代ヒューマニズムの陥りがちな通弊であろう。忍性はそうすることで、当時世間から忌み嫌われていた彼らの中に、「仏性」を見ていたことをむしろ評価すべきである。

忍性の救済活動には、行基というモデルがあった。行基は奈良時代において常に民衆と共にあり、橋を架け池を造り、貧民救済に従事した。後世、行基もまた文殊菩薩の化身であるという伝承が形成された。忍性は行基に私淑し、修行時代、彼の墓がある生駒(奈良県)の竹林寺に毎月参詣を続けた。忍性自身の遺骨も、遺言により同じ竹林寺に分骨されている。

中世では化身信仰は珍しいものではない。しばしば物語の主人公や伝説上の人物は、神仏の申し子とか神仏の化身という形で登場する。このことにより、彼らは一人の人間でありながら、神仏の加護によって人間以上の力や働きができるとされたのである。

忍性の文殊信仰にも似た要素があったのではないか。彼がハンセン病患者の内に、また行基の内に文殊菩薩の姿を見いだすことで、自分が仏教者としてなすべき社会的使命を発見した。そして自らの活動のエネルギーもまた、文殊菩薩から得ることができたからこそ、これほどまでの仏教事業を行えたのだとは言えないだろうか。

化身信仰は、決して過去の時代に属するものではない。それはまた単なるカリスマ信仰でも、ましてオカルト的な信仰でもない。それは人間でありながら人間を超えた神仏の力を、自らの内在的な行動力に変えていくことができる信仰のありようである。ここに、時代を超えた化身信仰の意義がある。仏教者が仏教者としての内なる力、また誰もが持つ「仏性」を引き出すことができるのは仏の力による。現代において、化身信仰をいま一度考え直してもよいのではないだろうか。


・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


>忍性の文殊信仰にも似た要素があったのではないか。彼がハンセン病患者の内に、また行基の内に文殊菩薩の姿を見いだすことで、自分が仏教者としてなすべき社会的使命を発見した。そして自らの活動のエネルギーもまた、文殊菩薩から得ることができたからこそ、これほどまでの仏教事業を行えたのだとは言えないだろうか。


すべての人が、神仏の化身であると言い得る。


>忍性の文殊信仰にも似た要素があったのではないか。彼がハンセン病患者の内に、また行基の内に文殊菩薩の姿を見いだすことで、自分が仏教者としてなすべき社会的使命を発見した。


人として格下と思われていた人たちに、本当の人間を見る。その逆転のための「化身」という発想と言い得る。
でも、それは「すべての人が神聖である」ということにつながる。


>近代ヒューマニズムの見方からすれば、ハンセン病患者を文殊菩薩の化身とするような回り道を経ず、同じ人間としての共感から慈悲の実践を行えなかったのかという意見も出てくるかもしれない。

ふと思うに、同じ人間ってなんなのか?って出てくる。

その人の尊厳とかは、唯物論からは出てこない。理性信仰では、理性の通じないことは手におえない。


あというと法華経の誤読による「ハンセン病患者差別」が、当時の日本にあった。<

参考 http://www.geocities.jp/michio_nozawa/03episode/episode41.html

参考 http://historivia.com/cat1/otani-yoshitsugu/867/

参考 https://www.amazon.co.jp/gp/aw/cr/rRF1ZLIP11M3JO

それを突破するのに、仏典の「文殊の化身」という発想を持ってくることで、それを打破したである。

近代ヒューマニズムでは突破できないモノを突破するための知恵だったのである。


なにかうまくオチがつかないけど・・。


お読みくださりありがとうございます。

henzyouhiryuu at 09:46 | 政治とか  
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